2011年3月18日金曜日

何もないこと。

Macはとても魅力的で、四六時中触っていたいモノだけど。


それで何か有益なことが出来ているのかと言えば違うのでは


と思う。


とても刺激的なのだ。


とてもすてきなのだ。


だけど、有益なことがまったく出来ない。


Macが無くて、時間がたっぷりあって、どうしようもなく


周りを見渡したら、本が有ったり、ノートと書き味の良い


万年筆が有ったりする。


そこで、何気なく1ページを開く、そして、仕方なく


右端の一番上から目を通し始める。


夢中になる。


頭の中に想いが駆け巡る。どうしようもなく、


万年筆を握りたくなり、ノートを引き寄せて、


今さっき読んだばかりの文章を自分の中で


文字に変える。


罫線のない真っ白なノートに青黒いインクが


心地良く滑る。


奥深く、奥深く、思考が沈殿し、凝結し、


知恵に変わっていく。


この時の静寂が僕は好きだったりする。


そして、それこそが人生だと幸福にひたる。


本当に僕にはMacが必要なのだろうか。


Macが僕には使えないのではないか。


戸惑う。


そう言えば今日。


東京に仕事に行った。つまらない仕事で、子供の


使いみたいな仕事だ。


早めに目的地に着き。寒かったので、ドトールに


入る。日差しがたっぷりある午後は、ショップの


中を満足する暖かさにしていた。


つまらない仕事だったから、こんな時のために


買った、お気に入りのMacBookAirも持ってこず、


分厚い技術書も持って来ず、有益な時間の過ごし方を


拒否した鞄の中身だった。


時間だけはある。鞄の中を覗くと、文学小説そして、


手帳が2種類。後はペン。


とりあえずコーヒーを飲みつつ小説を読む。


肉体労働が続いたせいか、睡魔が効率的に僕を襲う。


日頃は、そんなことなど崇高な目的の前に離散し、


必死の思いで、ビジネス書や、仕事あれこれ、


極めつけは夢の書き出し、GTDなどなど。


しかし、今日はそんなことを引っ張り出す勤勉さが


消え失せて、人目をはばからず、うとうとと


うたた寝をすると決める。


気を失っては、本を読み、また気を失う。


外気は冷え切っているのに、ガラス越しに


放射される太陽の光は、僕を不必要に熱く包んだ。


その内、睡魔からも解き放たれ、小説を楽しめるように


なり、その中の残酷な人生に胸を締め付けられ、


一時現実の町角からさよならする。


その内ひとしきり読むのも飽きて、すこしは仕事もどきを


しなくてはと思うのだが、Macも何も持ってきていない。


鞄の中をまさぐり、手帳を開き真っ白のノートに仕方なく


プレゼンのマンガを書く。


これが意外といい。


何とも暇なんだから、あれこれと頭に浮かんだことを


実に情けなく、汚く、書き殴る。その方が、深く、強く


考えが固まる。


もっとなんにもなく時間ばっかり有る無駄な人生を送らなきゃと


思うのだ。


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